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67件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1973-07-10 第71回国会 参議院 農林水産委員会 第22号

その八組合の内容を検討してみますと、普通保険引き受け隻数が、根釧組合、つまり根室釧路組合は、四十六年では六千百九十四隻、道南組合は六千四百隻、これに対して、南後志組合は六百六十五隻、留萠はわずか六百八十九隻しかありません。したがいまして、組合運営のために組合員負担が大きく違ってきておるのであります。  

川村清一

1970-05-09 第63回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号

労働省職業安定         局長      住  榮作君         労働省職業安定         局失業対策部長 遠藤 政夫君  委員外出席者         通商産業省重工         業局次長    山形 栄治君         通商産業省鉱山         石炭局石炭部産         炭地域振興課長 真野  温君     ――――――――――――― 五月七日  炭鉱閉山による留萠鉄道株式会社

会議録情報

1969-04-18 第61回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第11号

私がここで具体的な問題として指摘いたしたいのは、この九つのうち、留萠鉄道という会社だけは、今日的な意味において、いわゆる炭鉱会社の直営もしくは傍系あるいは資本、人事の交流というものがほとんど断絶の状態になっておる会社であって、したがってものの取り扱い方、判断のしかたでも、常にこの部分だけが無理に区分けをしようとし、あるいは孤立して問題の処置がされようとしてきておるわけです。

渡辺惣蔵

1969-04-17 第61回国会 衆議院 逓信委員会 第15号

留萠郵便局全逓脱退郵労結成がありました。局長全逓脱退声明書の原稿を書き、庶務課の脱退するものに対して前もって掲示用に清書をさせた。 これは会合に出た人が聞いたとか、こういうことがあったんだとか、こういうような証言があったものでありません。  四月九日午後五時十五分頃、庶務会計課主任以上の会議が局長室で開かれた。

島本虎三

1969-02-25 第61回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第3号

留萠鉄道というのは純然たる、炭鉱が持っていない鉄道であります。この九つの私鉄があるわけです。先般予算委員会でも、私は、石炭産業というのは運搬産業である。切り羽で炭を起こしたら、あとは運搬するだけなんです。これが石炭産業の実態なんです。いままでのものは、海上輸送については専用船をつくって、これは船賃を安くして、流通合理化をはかってきたという面があるわけです。

岡田利春

1967-11-10 第56回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号

これは実例ですけれども、第十二栄登丸という三十九トンのスケソウ船ですが、留萠沖で操業中にSOSがあったわけです。たまたま二日前に消息を断った漁船を捜索中の巡視船がそこにおったわけです。ですから通信を送りながらすぐ行ったわけです。ところが、八人の乗り組み員というのは全然姿も見えないし、もちろん船体もない、こういう実例

斎藤実

1967-03-23 第55回国会 衆議院 建設委員会 第2号

来年度函館港湾合同から下関港湾合同に至ります十一カ所について本格的に工事を進めるとともに、留萠以下八件の港湾合同についての調査工事を進めたい、こう思います。  それから次の施設特別整備でございますが、これは大規模な修繕とかあるいは暖房の設備整備、あるいは電力空調等設備改善、あるいは合同庁舎の補備的整備、こういうような分でございますが、約九億八千万円予定しているわけでございます。  

小場晴夫

1965-09-11 第49回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第5号

なお、直轄河川出水状況につきましては、天神川、千代川、渡川、那賀川、揖保川、円山川、紀の川、由良川、木曽川等出水がございましたが、そのほかに、その後の報告によりまして、富士川、吉野川、櫛田川、雲出川、それから北海道河川といたしまして、追加報告になりますが、石狩川水系の豊平川、千歳川、それから後志利別川、尻別川、留萠川、常呂川、釧路川というような河川が、いずれも警戒水位以上越しておりまして、ただいま

古賀雷四郎

1963-02-28 第43回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

それからあなたはおそく来たが、八千万円以上、以下の問題にしても、たとえば留萠管内の力昼第一種漁港の場合は、昭和三十五年度に百万円程度の調査費がついて、三十六、七年度に若干の事業費がついたが、それは港としての形態のないところに新規漁港をつくるわけでありまして、これらを整備計画から除外するということは、これは全く漁港として価値のないものとして、放棄したと同じ結果になるのですよ。

芳賀貢

1962-11-10 第41回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第3号

ちょうどここは、幸か不幸か、稚内の建設局関係と、留萠建設局関係の中間になっておる。境目になっておる。どちらの建設局に聞いてみても当を得ない説明しか受けられないのです。この点あなた方は今後どういうふうに路面を確保することを現地の地方機関に対して指導していくか。これは、あなたの答弁の基準、標準ではないと私は思いますけれども、ここにもありますように二種になっておりますから、これは一国ですよ。

吉田忠三郎

1961-02-08 第38回国会 参議院 農林水産委員会 第2号

開墾計画は、これは先ほど申し上げましたような観点に立った計画でございまして、大規模のところの新規としましては、内地では岐阜県の東濃、北海道では留萠地区というようなところが新しい地区として入っておりますが、これはそのほかは大体従来通りでございます。  それから次に、非公共でございますが、これは特に御説明いたしますのは、農地制度の問題の維持発展といたしまして、自作農資金信託制度を考えております。

伊東正義

1957-04-23 第26回国会 衆議院 農林水産委員会 第33号

いわゆる留萠地方を中心とした宗谷、後志、この方面のニシン沿岸漁業、すなわち定置漁業、それから共同漁業権内にあるところのニシン刺し網、これが長年不漁になった。従ってそうしたようなことから、非常にニシン漁業者が苦難の道をたどってきた。この原因は沖で底びき網がたくさんニシンをとるからだということで、それではニシンの混獲に制限を加えてみたらどうだということに出発しておるのでございます。

川村善八郎

1955-12-16 第23回国会 参議院 本会議 第8号

北海道鴛泊修築工事促進等に関する請願委員長報告)  第一四八 北海道増毛拡張整備工事施行に関する請願委員長報告)  第一四九 十勝沖地震による北海道広尾港湾施設沈下改修工事促進請願委員長報告)  第一五〇 北海道広尾修築工事施行に関する請願委員長報告)  第一五一 北海道天塩港湾設工事促進に関する請願委員長報告)  第一五二 福岡県の港湾整備促進等に関する請願委員長報告)  第一五三 北海道留萠港北岸船

会議録情報

1955-12-16 第23回国会 参議院 本会議 第8号

日程第百五十三は、留萠港船だまり築造に伴う土地収用費及び家屋移転補償費についての国庫負担に関するものであります。日程第百五十四は、北海道広尾町に測候所を設置せられたいという趣旨のものであります。日程第百五十五は、宮崎県細島港に警備救難署を設置し、巡視船を配置せられたいという趣旨のものであります。日程第百五十六から第百五十八までの三件は、航路標識設置に関するものであります。

左藤義詮

1955-12-15 第23回国会 参議院 建設委員会 第4号

早来村間道路新設  に関する請願(第二一八号) ○県道豊岡飾磨港線改良工事施行に関  する請願(第二二七号) ○国道十九号線改良工事施行に関する  請願(第二四八号) ○新潟主要地方道柏崎松代十日町線  改良工事施行等に関する請願(第二  四九号) ○新潟東頸城郡内の地すべり対策事  業促進に関する請願(第二五〇号) ○新潟東頸城郡内の橋りようを永久  橋に架替するの請願(第二五一号) ○二級国道留萠札幌線増毛地内開

会議録情報

1955-12-15 第23回国会 参議院 建設委員会 第4号

専門員武井篤君) 次は増毛と申します、北海道札幌から留萠の方に行くところにある町でございますが、留崩札幌線増毛の方の道路を作ってくれということ、それから増毛港、それから雄冬避難港、別刈の漁港というものを拡張整備してもらいたい、暑寒別川の電源開発をしてくれ、それから地下資源調査をしてくれ、沿岸魚田の育成をやってもらいたい、農耕地開発してくれ、これだけの六つであります。

武井篤

1955-11-10 第22回国会 参議院 逓信委員会 閉会後第1号

かくのごとくにして、受信者開発を推進するためには、難聴地域を解消いたさねばなりませんが、本道における難聴地域は、後志支庁の大部分檜山支庁北部根室支庁留萠支庁北部区域であって、同級スーパー受信機管轄局以外の大電力局の放送を受信している状態であります。これら解消の方策としては、管轄局電力増強あるいは五十ワット局を新設する以外にないのであります。

瀧井治三郎

1955-10-19 第22回国会 衆議院 農林水産委員協議会 第3号

芳賀貢君 今長谷川さんの言われた点の出町尊という人が出町初太郎氏のせがれであるということはわかっているのですが、ただその前の漁業権について、出町初太郎さんのおじさんの出町陽吉という人が昭和二十四年ごろ留萠漁業協同組合組合員であったということですね。これが一応漁業権を持っておったということになっているのです。

芳賀貢

1954-12-22 第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号

しかし私は、この問題はこのまま放置することはできないから、微力ではあるが、何らかの法制化をして、ほんとうにこの預金者を救う道を講じてやりたい、そういう私の信念から、支店の動揺を防ぐために小樽、札幌函館、旭川、留萠等十一箇所の支店に私の名をもつて電報を打つたのであります。そういう意味でございますから、私はこの法制化運動にいまなお信念を持つて思い続けておることだけを弁明しておきたいと思います。

椎熊三郎

1954-12-22 第21回国会 衆議院 予算委員会 第2号

日本殖産留萠支店あて電報を打つております。「われ立法化に努力中、支店長以下の御健闘を祈る。椎熊代議士。」私は資料を持たずに言つておるのではない。国会から打つた以上は、これの筆跡鑑定をすればわかつて来る。こういう問題が改進党にないわけはありません。この点を伺つておる。大麻国務大臣千葉労働大臣重光外務大臣等において、こういう問題があつたかなかつたかをはつきり説明願います。

田渕光一